長尾真先生追悼メッセージ Webサイト
元京都大学総長 長尾真先生におかれましては、かねてより病気療養中のところ、令和3年(2021年)5月23日にご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
長尾真先生をしのぶ会(オンライン)の開催にあたり、長尾先生との思い出や心に残ったエピソード、お写真などをお寄せいただきました。
たくさんのメッセージやお写真をご投稿いただき、心より御礼申し上げます。
お寄せいただいたメッセージ・写真
江原暉将 様
昨夜、長尾先生の夢を見る。
何か会食会の席のようである。
私「あれっ、先生、ご出席になられたのですね」
先生「そうなんだよ。新しい技術ができてね。今は未だこの技術を使うのは結構しんどいのだけと、そのうちもっと楽に使えるようになるよ」
私「そうなんですか」
先生「この技術で重要な要素がこの関数でね」
と先生は「日高」という関数を示された。
漢字で書かれた関数名を見るのは初めてであった私は
私「この日高というのは?」
先生「人の名前から来ているのだよ」
私「そうですか。アルゴリズムに人名を使うのは解るけど。KNパーサーとか。関数名にも人名を使うのですか?」
先生「関数名に人名を使ってもかまわんだろ」
関数名にこだわって内容にまで話が及ばないうちに目がさめたのは大変残念であった。
先生におかれましては、彼の地で安らかにお過ごしいただくと共に、たまにはこうして此の地の我々をご指導いただけますよう切にお願い申し上げます。
内元清貴 様 (国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT))
学部4年から修士課程修了までの3年間、長尾研で多くのことを学ばせていただきました。長尾先生は学部長や図書館長等を務められご多忙でしたので、機会は限られていましたが、直接ご指導いただいた際には多くの気づきを与えてくださいました。
一例ですが、在学当時、教授室にて、長尾先生がおもむろに立ち上がり、数ある論文誌の中から一本の論文を選び、その論文の参考文献を読むようにとご指導くださったことがありました。それは、その時私が取り組んでいた研究テーマに新しい観点を与えるものであり、かつ、その参考文献から良質の関連論文が芋づる式に辿れるものでした。その一本を選ぶ発想は簡単に真似できることではありませんが、信頼できる研究者の論文を選ぶこと、そして、その参考文献だけでなく、その研究者が執筆する論文を時系列で辿ることにより、発想の仕方が学べることに気づかされました。
その後、長尾先生がNICTの初代理事長になられたこともあり、幸いなことに就職後もご指導いただける機会にも恵まれました。長尾先生からご指導いただいたことは、普遍的な考え方や問いが多く、今もよく反芻しています。感謝しかございません。ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈りいたします。
川本幸雄 様 (大学同期、元日立製作所、日立研究所)
長尾 真さんへの感謝
京大電気の同期の誼で長くお付き合い頂きましたが、長尾さんの産業界への積極的な応援姿勢に、大変感謝している者の一人です。
一例をご紹介し、長尾さんの追悼にしたいと思います。
人工知能は長尾さんらのご研究で早くから注目され、’80年代後半には産業界への応用も期待が高まっていました。当時の日立研究所でも電力、鉄鋼、鉄道、都市、自動車などの社会インフラをIT技術で革新しようという機運が高まっていました。1988年、私が率いていた日立研究所で「人工知能の産業応用国際会議」を企画し、長尾先生にご相談の上、基調講演をお願いしました。格調高いスピーチを頂き、 産業応用が活発になる契機になりました。
(その時の記事です。日立評論1989年1月号)
その後も研究室の卒業生を多数送り込んで頂き、彼らが今、日立のIT事業の基盤を支えています(写真は叙勲記念会で先生に思い出と感謝を述べている時のものです)。
叙勲記念会で先生に思い出と感謝を述べている時のもの
江頭英隆 様 (京都大学工学部電気工学第二学科 昭和42年卒)
長尾真先生には助手時代教えて貰った記憶があり、その後 総長、文化勲章受章など 大変有名になられ、あらためて長尾真先生をしのぶ会(オンライン)を全部視聴し大変良く、懐かしく 弊 百趣味ブログで 全記録しアップさせてもらいましたので、連絡させてもらいます。昭和42年 同窓生にも連絡させてもらいます。
石黒武彦 様 (京都大学)
長尾真先生の情報学についての偉業はどこに由来するかに関心を寄せてきました。門外漢には理工学の範疇を超えたところに位置づけられるように受けとめられたからです。それを理解するヒントはご近著「楽天知命」に所収された読書遍歴にみだせるように思います。大学では電子工学を専攻されたのですが、和漢洋の古典著作を自己研鑽に、カント、ゲーデル、メルロ・ポンティ、西田などの哲学書を自分の関心に引き付けて読まれたとあります。分析手法では捉えきれない言語、認識を相手にするにあたってとられたその取り組みは、科学がその方法を見だす以前において自然に向き合うときにみられたものに通じるような気がします。思考と試行を繰り返す中に道を紡ぎだして行く。そうしたことによって情報学が構想されたように思います。その根底には中学時代に“自分とはなにかという哲学の根本問題に出会った”とされることにあったのかも知れません。
森信介 様 (京都大学 学術情報メディアセンター)
近くて遠い恩師 (人工知能学会誌草稿)
恩師の訃報を伝えられたとき、ただ「そうですか」と答えた。昨年、どなたかからの原稿依頼をお伝えしたときに、奥様から療養中と知らされていた。療養先は、私の勤務先の近くであったが、親族以外のお見舞いは許されない社会状況であった。半年も経てば帰宅されるかお見舞いに行けるだろうと思っていたが、一度だけ悪い夢を見た。結局、最後にゆっくりとお話を聞けたのは、令和元年五月二十五日の「『情報学は哲学の最前線』合評会」での執筆者による自著解題とその後の懇親会となった。遠くに行ってしまわれた今、感謝の気持ちを新たにするとともに、御霊のご平安をお祈りするばかりである。
平成四年四月、私は長尾研に配属となった。すでに学内外の様々な組織の重職に就いておられたので、学生室の近くの教授室はよく不在であった。学生のときの記憶として、会議などのない毎朝八時半に、出はじめのUNIXでの日本語入力を教授室に「教授」しにしばらくの間いっていた。当時の先生からのメールはローマ字列で、「日本語処理の研究者が…」と言って笑っておられた。修士論文執筆中には、ホールインワン記念の「忙中有閑」の書のテレフォンカードを頂いた。「達筆の言い訳ですね」というと、またまた笑っておられた。博士課程のときには工学研究科長に就かれたので、研究相談は、遠くの建物に行き多数の扉を開けてから工学研究科長室に辿り着くところからであったことを鮮明に覚えている。ときどき、先生の字で「森くん」と書かれた参考文献のコピーを秘書の芦田さんから渡されたときは、大変うれしかった。このように、直接ご指導を仰ぐ機会は多くなかったが、著書や分野全体の解説記事などを多数執筆されており、先生の考え方や問題意識を学んだ。先生の近くにいた学生と同じように、多くの方々も遠くにあっても長尾先生に「指導」を受けていると言えるのだろう。
平成十九年にアイ・ビー・エムから京都大学に戻ってからは、大学教員としての長尾先生の考え方も折にふれて学んでいる。研究室には「言霊」の書があり、いつも近くで見守って下さっている。研究者としても教育者としてもまだまだ遠い恩師であるが、少しでも近づけるように邁進していきたい。
能見和司 様 (株式会社QTnet 取締役会長)
先生には洛友会九州支部総会にも度々お越しいただき、九州地区の電気系卒業生たちと気さくに楽しく接してくださいました。
私自身は学生時代に通信工学の授業を受けましたが、直接のご指導をいただいていない卒業生たちも先生の素晴らしいお話とお人柄にみな感銘を受けておりました。
尊敬する先生にまたお越しいただくのを楽しみにしておりましたが、残念です。
今はただ心からご冥福をお祈りいたします。
洛友会九州支部長 能見和司
野田五十樹 様 (北海道大学)
長尾研究室にはいり、修士1年の夏休みにオーストラリアをバックパック旅行に行くことを先生に伝えに行った際、なぜオーストラリアなのか、と先生は聴いてくださりました。自分の中で、オーストラリアが白地図のままで、何もないように思えるから、と答えたら、「ほっほっほ、何もないからですか。でもかならず何かあるので、しっかり見てきなさい」と返してくださりました。
そういうやりとりで私の性格を見抜いてくださったのか、夏休みが終わった後、いきなり私の席に来て、この論文読んで感想聴かして下さい、と当時注目を集めつつあったバックプロパゲーションの論文を渡してくださりました。結局それがきっかけでその関係のテーマで博士まで出ることになったのですが、そういうあまり手垢のついてないテーマを与えるほうがよいと見抜いてくださったように思いますし、また、研究者になる道を選ぶきっかけになったようにも思います。
そういう、人をちゃんと見て適材適所で活躍の場を見つけていただける先生のお力を、今更ながらに感じているところです。
河野弘毅 様 (日本翻訳ジャーナル 元編集長)
私は産業翻訳の業界団体である日本翻訳連盟で機関誌「日本翻訳ジャーナル(JTFジャーナル)」の編集を担当していました(2011-2020年)。
長尾先生には機械翻訳の発展のためには研究界だけでなく産業界(翻訳業界)の参画が必要とのお考えがあり、みずから複数の翻訳会社に声掛けしてMUプロジェクトにお誘いくださったとうかがっています。このことが、日本の翻訳業界が機械翻訳にかかわる史上初の契機となりました。
長尾先生には機関誌に、2012年9月に長いインタビュー(262号)を、2017年10月にはGoogleの賀沢秀人さんとの対談(294号)を掲載させていただきました。次のURLから全文をお読みいただけます。
https://webjournal.jtf.jp/back-number/
インタビューと対談を何も編集せず文字起こししただけなのに、そのままで理路整然としているのみでなくたいへん含蓄のある味わい深い文章ができあがることには編集していて驚嘆しました。
機械翻訳が飛躍的に進歩する以前の翻訳業界は規模も小さく研究開発を自ら実施する資本力にも乏しかったことから学術的な関心を向けられることはほとんどなかったのですが、長尾先生は機械翻訳が現在のように注目を集めるはるか以前からそんな翻訳業界の現場で地味に働く人々の話にとても丁寧かつ誠実に耳を傾けてくださり、その真摯なお姿に深い感銘をうけ、心から尊敬いたしました。
長尾先生の優しい笑顔をもう拝見できないことがとても残念です。長尾先生のご冥福をお祈りします。
長尾先生のインタビューを掲載したJTFジャーナルの表紙になります。
伊藤八大 様 (株式会社グローカル 取締役、元 東芝)
長尾先生の訃報に触れ、改めて先生の偉大さや、頂いた数々の言葉やアドバイスを思い起こしています。
私は、1978年~79年、学部3回生の途中からLISPマシン製作のアルバイトで研究室にお邪魔するようになってから4回生まで、先生のご指導を受けました。東芝より米国留学する際には推薦状を書いて頂きました。また、その後も色々なイベントや、電気系同窓会である洛友会の活動等でも、いろいろとお話を伺うなど刺激を受けてきました。
東芝での39年弱、そして現在の会社で携わっている洋上風力発電の仕事などの中でも、先生から受けたご指導、アドバイス等が役立っていると感じることが時々あります。本当にありがとうございました。
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
佐藤彰洋 様 (横浜市立大学大学院データサイエンス研究科 教授)
長尾真先生にはビッグデータに関する課題で度々ご相談させて頂く機会に恵まれ、その都度適切なご指導を頂きましたことが懐かしく思い出されます。先生に教えて頂きましたアドバイスを宝物として今後も研究教育活動を続けてまいりたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。
上田良寛 様 (富士フイルムビジネスイノベーション)
長尾真先生の訃報にふれ、「学ぶ続ける姿勢」について考えていました。
https://ryokan.blogspot.com/2021/06/blog-post.html
長尾先生の存在は、今の私の一部を形成していると思います。学び続ける姿勢、チャレンジする姿勢は、我々才能のない人間でもロールモデルにできるものだと思います。
久保正敏 様 (公益財団法人千里文化財団)
私は、1974年に京都大学工学研究科修士課程を卒業、坂井利之先生の研究室だったので、長尾先生と研究会をご一緒させていただくことも多く、さらに、私が1983年に京都大学から国立民族学博物館(略称:民博)に移動した後も、既に民博草創期の1975年から民博の情報化に関わる外部委員を長年務めておられた長尾先生のご指導を受けてまいりました。先生は、人文社会系の諸資料が人類の共通資産、コモンズであり、その情報化・組織化により世界の誰でもがそれを縦横に利用し新しい知の発見を可能とし、それが再びコモンズにフィードバックされるようにすること、それが情報科学の大きな目標のひとつだと力説されてきたのは皆様ご承知の通りですが、民博に関わってこられたり、大学の計算機センターと図書館の接合をいち早く実践されてきたのも、その現れ。現在私が非常勤で席を置く公益財団法人千里文化財団は民博と市民を結ぶ支援組織ですが、その評議員にも長年就任いただいて参りました。頂点を極められたにもかかわらず、先生のあの飾らないお人柄を思い、もっと学ばせていただくことがあったのに、と残念でなりません。ご冥福をお祈りするばかりです。
1972年8月1日、坂井研究室芦生サマースクールにて
丸山高弘 様 (地域資料デジタル化研究会/山中湖情報創造館)
長尾先生の『電子図書館』を拝読してからの大ファンになりました。長尾先生の構想である電子図書館(アリアドネ)には足元にもおよびませんが、何かつくることができたらと思っています。
ありがとうございました。
R.I.P.
写真ではなくYouTubeにアップした動画です。目の前でスピーチがはじまってしまって、あわてて撮影したものですが、こうした記録が大事であることを実感した撮影になりました。
村田真樹 様 (鳥取大学)
長尾先生には、京都大学在学中と情報通信研究機構在職中にご指導をいただきました。京都大学での研究室選びの際にいくつかの研究室を見学しました。長尾先生の研究室では、研究室の方々がコンピュータに向かってカタカタと熱心に研究されていて驚いたことを覚えております。長尾先生は非常に真面目な方ですが、研究室の先輩の方々も真面目な方が多いと思います。研究室の雰囲気で長尾先生の研究室を選ばせていただきました。京都大学在学中は、長尾先生のところに頻繁に研究のご相談にうかがっておりました。長尾先生のアイデア帖のようなものを見させていただいたことがあったような記憶があります。長尾先生から直接多大なご指導をいただいたことは、たぐいまれなる幸運であり感謝に堪えません。情報通信研究機構から鳥取大学に異動する際に国立国会図書館にご挨拶にうかがったときにも、種々の貴重なアドバイスをいただきました。最近も先生の刊行物をお送りいただきました。先生が目次情報が重要とおっしゃっていたことを参考にして行ったものですと申し添えて論文を先生にお送りさせていただいたこともあります。ご冥福をお祈りいたします。
葉原耕平 様
長尾先生のご冥福、心よりお祈り申し上げます。
飛び入りですが、昨夕(2021.07.17) 朝日新聞夕刊の「惜別」欄に長尾先生の記事が掲載されておりました。おそらく関西でも掲載されているかと思いますが、東京版でも掲載されていました。参考までです。
cf. 朝日新聞デジタル: (惜別)長尾真さん 元国立国会図書館長
長谷川靖子 様 (京都コンピュータ学院 創立者・学院長)
私は,長尾先生の数々の優れた学問上の業績および社会貢献に敬意を払うと同時に,それを生み出された先生の人生哲学に特別の共鳴と共感を覚えています。
先生は,「真理の探究」に価値を置きながらも,その追及の過程で増幅される欲望の暴走を戒め,何に従事しようと,すべては「人間の為」と究極の目標を設定され,そこから逸脱することへの警鐘を鳴らされました。この視点は,現在の荒廃した世界状況にとって特に重要です。
先生が,2013年京都コンピュータ学院創立50周年記念式典に列席され,その席上で,私どもの学院の取り組みを三つに大別し,(「コンピュータ教育の開発と普及」,「発展途上国に対するコンピュータ人材育成のボランティア」,「コンピュータミュージアム設立」)それぞれの取り組みにおいて具現された学校精神を高く評価されました。私どもは,いずれの場合においても,コンピュータ教育を通じての「文化への貢献」を価値としており,すべては「人間の為」と主張される先生の価値観と矛盾するものではありません。
私は,もっと深く先生の人生観を中心に先生と対話する機会を持ちたかったのですが,今となっては,かなわぬ夢となりました。先生の長い間の本学院に対する深いご理解と暖かいご支援を感謝いたします。ありがとうございました。
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
竹原司 様 (元 東芝、ソフトウェア協会会長/現 インフォグリーン株式会社 社長)
1973年、当時日本の最先端の画像処理をやりたくて、長尾研究室にお世話になりました。巨大なディスクがまだ2MBだった時代、64KBメモリーのミニコンで画像処理用のOS(仮想記憶管理)の開発が研究テーマでした。
長尾先生は当時30代で輝いて見えました。朝、通勤電車の中で立って原稿を書いている!とのお話が頭に残っています。
総長を退官されたあと、国会図書館館長をされていた時、お呼びが掛かって、お伺いしました。部屋に入ると広大な館長室のはるか向こうの机から、「おーい竹原君こっち!」と呼ばれたのを思い出します。
文化勲章のお祝いの会の別れ際、握手させていただいたことが思い出になりました。
先生からいただいた教えとチャンスを生かして、あとしばらく、社会貢献させていただきたいと思います。
下川和男 様 (イースト株式会社 取締役会長/日本電子出版協会 副会長)
長尾先生とはいくつかの接点があり、ご紹介させて頂きます。
先生の著作『楽天知命 ーー気楽なよしなしごと』(2019年11月刊)と『心の時代と神道』(2020年6月刊)を弊社の出版ブランド「アスパラ」で出版させて頂きました。写真は2019年11月、先生が会長をされていた「AIデータ活用コンソーシアム」総会で、編集を担当した鈴木道典と私とのものです。
また、弊社でコンピュータサイエンス誌『bit』を電子復刻させた際には、今年2月17日に許諾のメールを頂戴し、お元気になられたと安心していた矢先でした。
また、日本電子出版協会やEPUB日本語拡張仕様策定(ブラウザでの縦書き)でもお世話になり、その追悼文は長尾構想についてのご講演映像を含め、以下にあります。
https://www.jepa.or.jp/pressrelease/20210530/
心よりご冥福をお祈りするとともに、先生が残された構想の実現に向けて、微力ながらお手伝いしたいと思っております。
Prof. Dosam HWANG (Yeungnam University, Korea)
At first, I like to express my deepest grief.
For the first time, I saw (not met) Prof. Nagao who gave his invited speech at my KIST (Korea Institute of Science & Technology) around in the early 1980’s. At that time, there was no one who did not know his name, Professor Nagao if the researcher was studying NLP in the world. His research activities has influenced to NLP research in Korea so much.
A phrase, “~ under the guidance of Prof. Makoto Nagao”, has been still described in my homepage since I graduated. Prof. Nagao is the first one of only three persons who I have used a word, “respect (sonkei)” for, in my life. His book for his retirement commemoration (the party at the below picture) has been located at the top of my bookshelf. My deepest respect and appreciation will be inscribed forever in my spirit and mind.
I like to express my sincere condolences and sympath to Okusama and go Kazoku and the promoters of a memorial service, and all who remember professor Nagao with my modesty.
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
Nagao Lab OB
Dosam Hwang
Professor
Yeungnam University
KOREA
Prof Nagao’s retirement commemoration party, 1998.
吉田努 様 (総務省)
長尾先生には、修士課程で進路について相談させていただき、当時の郵政省に入省しました。その後も、米国大学院への留学の推薦、横須賀市役所への出向時には、YRPと京大の連携など、様々な形でご指導やご支援をいただきまして、大変感謝いたしております。
先生の著書をたまに読み返すと、その都度、以前理解できていなかった新たな気づきをいただいています。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
福永泰 様 (元 日立製作所、日本電産)
1973年、修士課程でお世話になり、結婚式にもご出席いただき、半世紀、同窓会他でお世話になりました。1984年の10周年の東京での集まりで、21世紀を生きる「若い君たちに向けて」ということで、『科学技術は万能か、よく考えて精進せよ』というメッセージが、若者から高齢者になった今でも鮮明に残っています。
早くから奨励された電子図書館の効用を実務で実践して、教えを広めていきます。
電子図書館から繋がる情報の『輪』
吉田進 様 (京都大学名誉教授)
電気系教室で、ひと回り年上の大先輩である長尾先生とお会いするときはいつも緊張感でいっぱいでした。先生のお考えやご指摘は、思いもよらぬ視点から、常に物ごとの本質を突いた、ハッとさせられるものばかりで、先生の偉大さを常に肌で感じ取ってきました。
ただ時には、直接あるいは電話を通して、暖かいお言葉を頂戴したり、吉報を届けて頂いたこともあり、その時ばかりは緊張感もほどほどに、先生ならではのお気遣いに大変恐縮した記憶が鮮明に残っています。
また、北米留学の機会を与えていただいた際には、大変お忙しい中、グランマルニエのボトルを携えてわざわざ立ち寄ってくださった感激は今でも忘れられません。
その尊敬する長尾先生から、もうお話を伺うことができないかと思うと痛恨の極みです。
大川賞受賞記念シンポジウム会場にて(2014年3月)
神宮司信也 様 (詩想舎)
お寄せいただいた追悼文を別ページに掲載しております。
中村行宏 様 (京都大学名誉教授)
お寄せいただいた追悼文を別ページに掲載しております。
阿部圭一 様
阿部圭一です(静岡大学名誉教授、初代情報学部長)。
長尾真先生には、静岡大学に工学系1学科、文系1学科からなる情報学部を新設するときに、文と工の融合の仕方や、学部の進むべき方向について、いろいろと御指導をいただきました。深く感謝しています。
若輩の頃から、自分とは比べものにならない大活躍をされている先生だと仰ぎ見ていましたが、ある時、たった5歳しか年上でないと知って、がっくりきました。ご自身のご研究やご活躍だけでなく、大勢の立派なお弟子さん方を育てられたことでも尊敬しています。
「比叡山はいいよ」とおっしゃったことが記憶にあって、丸一日山を訪れたことが良い思い出になっています。
長谷川亘 様 (京都情報大学院大学・京都コンピュータ学院・京都自動車専門学校 統括理事長)
長尾真先生には,長年にわたり本学の教育活動にご指導,ご支援を賜りましたこと,心より感謝いたします。1963年,日本最初のコンピュータ教育機関として創立以来,本学は多くの情報処理技術者を育成してまいりましたが,今後も,長尾先生にお教えいただきましたことを,教育活動に活かしてまいる所存でございます。
御高著『人工知能と人間』(1992年,岩波新書)を上梓されました際には,本学校友会機関誌『Accumu Vol.5』(1993 年刊)のインタビューにお答えいただきました。2時間以上にわたり,「情報科学的視点は,世界をどう変えるか?」について刺激的なお話をお聞かせくださいました。
2013年,本学創立50周年の際には,祝賀会にてお心のこもったお言葉を頂戴いたしました。学生,教職員一同深い感銘を受けた次第でございます。
また,「知性・感性ともにすぐれた人格の育成」という理念に基づき,本学のホールで毎年開催しておりますクラシック音楽の演奏会には,奥様とご一緒にたびたびお越しくださいました。終了後の懇親会において,演奏者や本学教員と和やかに歓談されていたことが印象に残っております。
長尾真先生,本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。
浅井満知子 様 (株式会社エイアンドピープル)
弊社が立ち上げたプレインランゲージのコンソーシアムについて、先生にご紹介させていただいたときに、長尾先生は感心してくださり、激励のお言葉をくださいましたね。そして「私でお役に立てることがあれば・・」と、温かいお言葉をいただきました。
まだ、団体を立ち上げたばかりで不安がいっぱいなところに、先生のお言葉が心に深くしみいり、力づけられました。
来年2022年にはプレインランゲージの国際会議を東京で開催する運びとなり、ご報告かたがた先生を来賓でお招きできないかと思っていた矢先の訃報心でした。もっとはやくにお礼のご連絡をするべきだったと心残りでなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
浅見徹 様 (株式会社国際電気通信基礎技術研究所)
長尾真先生のご冥福を祈ります。国際電気通信基礎技術研究所(ATR)は1986年に発足し、今年が35周年に当たります。長尾真先生は、ATR設立準備会の技術委員会の座長として、研究推進体制やマスタープラン等、細部に渡った計画を立案していただいただけでなく、ATR設立後も、自動翻訳電話のプロジェクトを中心にひとかたならぬお世話をいただきました。また、個人的には、平成30年に比叡山延暦寺で「現代社会における宗教の役割」というシンポジウムが開催された際、先生が「心の時代」というタイトルで講演されていたのが印象に残ります。神道の本流の家系にお育ちになった長尾先生の宗教観・歴史観が垣間見える簡潔もので、京都学派の面目躍如と思いました。また、儒教と仏教に共通する生き方に安心立命(人力のすべてを尽くして身を天命にまかせ、いかなるときも他のものに心を動かさないこと)という教えがあることをこの時に初めて知りました。先生のように、世界を相手に何事かをなすには、このような正統派の哲学が必要だと感じました。アジアでは古からの哲学ですが、今日のグローバリゼーションを生き抜く哲学とも感じましたので、周りの若い人たちとともに精進していきたいと思います。ありがとうございました。
冨田勝 様 (慶應義塾大学)
私がCMUの大学院生だったころ、米国で自動翻訳のプロジェクトを立ち上げる勉強のために、1984年に長尾研究室に〝逆留学”させていただきました。快く受け入れていただき本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
中野有貴 様 (富士通クライアントコンピューティング(FCCL))
長尾先生は修論前にレビューして頂きまして、的確なコメントをもらった記憶があります。年度末のパーティーではおちゃめな姿を見せられていました。楽しい思い出ですが、もう見られないと思うと残念です。
1998年度末 (1999年2月か3月) の長尾研パーティー
櫛木好明 様 (元 パナソニック・京都大学工学部電子工学科 昭和43年卒)
長尾先生に卒論「交通制御シミュレーション」のご指導をいただきました。研究とは「Wht’s New」、新しいものはすべて芸術、私の人生哲学の基本を教えていただきました。会社時代もご講演や研究のあり方についてご指導いただき、心の師に深謝しかありません。ご冥福を祈ります。
2012年 長尾先生喜寿お祝い
渡辺日出雄 様 (日本IBM)
83年から86年まで長尾先生の研究室でお世話になりました。研究室で聞こえてくる先生のお言葉は、後の研究者人生の糧となるものが沢山ありました。当時Muプロジェクトが行われていて、企業の研究者の方々がいて交流できるという貴重な経験もさせていただきました。長尾先生には感謝するばかりです。
ご冥福をお祈りいたします。
85年に長尾研の旅行で小豆島に行ったときのものです
畚野信義 様 (元 通信総合研究所長)
お寄せいただいた追悼文を別ページに掲載しております。
電子工学科:1959年卒業記念アルバム(洛友)から
長尾君は後列右から6番目(後列右端は私)
清野研究室(教官3名,卒研生4名)長尾君は左端
長尾君は大学院は前田(憲一)教授の助教授から独立した坂井(利之)研究室に移った。坂井研究室の研究テーマは「音声タイプライター(音声認識)」だった。
2005年6月、台湾工業技術院ICL研究所訪問
2005年7月 南カリフォルニア大訪問
2005年11月 日本国際賞受賞記念シンポジウム
長尾君は左端
榊博史 様
1985年頃にKDDで機械翻訳の研究を始めることになり辻井先生が引率された民間主催の欧州情報収集ツアーに参加した後、京都大学の長尾研究室にたびたび伺いました。長尾先生は盛夏でもジャケットとネクタイのきちんとした服装を崩さないのが印象的でした。長尾先生のご紹介によりボアテ先生、故中村先生と知り合いとなり、グルノーブル大の機械翻訳方式、京都大学のミュー方式を学ぶことが出来てKDDでのKATE方式という機械翻訳方式の開発に役立てることができました。
建部周二 様 (元 東芝)
長尾先生には1976年の学部配属から1979年の修士課程修了までご指導いただきました。おかげさまで、会社員生活をコンピューター関係の仕事で過ごすことができ大変感謝しております。
手元にあった写真は研究室発足10周年のイベントの時のものであまりよく撮れていません。雰囲気だけでもとupさせていただきました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
長尾研究室10周年記念パーティー(1984.3.17)
河崎達夫 様 (京都大学工学部電子工学科 昭和34年卒)
長尾さん(さんと呼ばせていただきます)はわれわれ昭和34年卒の同期の者にとって常に輝く星でした。その星を失った喪失感は大きいものですが、長尾さんの功績は失われることなく生き続けるでしょう。
京大電子の修士課程に進んだとき、インターンシップで坂井利之先生のもとで机を並べて取り組んだのが、京大初の大型電子計算機(KDC-1)の演算回路の試作品の動作解析でした。単体トランジスタを用いた基本ゲート回路でしたが、長尾さんの緻密な解析力がいまでも印象に残っています。文化勲章を請けらのがつい先日のようで、これからの一層のご活躍に期待していた矢先のご訃報でした。ご冥福を心よりお祈りいたします。
前田賢一 様 (元 東芝)
先生との最初の関係は壊れたディスクに格納された西夏文字をテープにダンプさせていただいたときでした.その後,ミュンヘンの学会で初めてお目にかかったのですが,直接の門下生でもない私にまで,いろいろご指導をいただきました.
最後にお目にかかったのは京大総長時代に,関西から関東に移動のご挨拶に伺ったときでした. もっとお話を伺いたかったところですが,今は安らかにお休みください.
岡本真 様 (アカデミック・リソース・ガイド株式会社(arg))
長尾先生との思い出は尽きず、語りきれません。私は主には国会図書館長としての先生とのお付き合いが主でしたので、その方面のエピソードをきちんと伝えていきたいと思います。そういった論考をJSAI学会誌に寄稿していますので、刊行後、ぜひご参照ください。
情報工学というより、情報学全般における先生のお取り組みの一面が見えてくると思います。
東京での文化勲章受章祝賀会の際の一枚です。こちらは主に図書館・出版業界の呼びかけで行われました。
中村裕一 (京都大学)
長尾先生とは何度もゴルフをご一緒させていただいたのですが,写真が残っているのは7年前が最後でした.このコンペでは先生は3位で,まだまだ頑張っていらっしゃいました.私が最初にコースを回った時も,長尾先生とご一緒させていただいたというご縁があります.大原で厳しい洗礼を受けましたが,誘っていただいたおかげで,今でも楽しく続けています.ありがとうございました.
荒牧英治 様 (奈良先端科学技術大学院大学)
用例ベース翻訳の研究に従事していた学生時代,長尾先生は雲の上の存在でした.MT Summitで先生にお声がけ頂いた時の緊張と喜びを昨日のことにように思い出します.ご冥福をお祈りいたします。
河原大輔 (早稲田大学)
長尾研究室、情報通信研究機構、国立国会図書館と長尾先生を追いかけて、いずれの組織でも短い期間でしたがご指導いただきました。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
清田陽司 (株式会社LIFULL)
卒論生として配属された年に長尾先生が総長に選出されたため、長尾先生にご指導いただけたのはわずか1年間のことでしたが、振り返ると、多大な学恩を受けさせていただいたことに思いを致さざるを得ません。なかでも、最終講義の場で電子図書館システムAriadneのデモを担当させていただいたことは、博士課程修了後の最初の研究テーマに図書館ナビゲーションシステムを選ぶ大きなきっかけになったように思います。国立国会図書館長としてご在任中には、館長室に何度かお邪魔させていただきましたが、いつも勇気づけられるお言葉をかけてくださり、「道なき道を切り開く」方向に導いてくださいました。最晩年に著された「情報学は哲学の最前線」にも大きな刺激を受け、人工知能学会誌で連載中のレクチャーシリーズ「AI哲学マップ」を企画するきっかけとなりました。レクチャーシリーズの内容を長尾先生に直接お届けし、また色々とお話を伺えればと思っていましたが、それが叶わなかったことが本当に残念です。受けさせていただいた学恩を次の世代に恩送りするため、導いてくださった方向に引き続き歩んでまいります。
- 長尾 真: 情報学は哲学の最前線,LRG: library resource guide = ライブラリー・リソース・ガイド,第 27 号,pp. 10-76 (2019),https://hdl.handle.net/2433/244172
- 清田 陽司, 三宅 陽一郎: アーティクル:レクチャーシリーズ「AI 哲学マップ」開始にあたって, 人工知能, 36 巻, 1 号, pp. 74-78 (2021), https://doi.org/10.11517/jjsai.36.1_74
2011年5月1日、京町家「鍵屋荘」に足を運ばれ、書をお寄せいただいた際のワンショットです。どんな立場の人に対しても真摯に接され、きめ細やかなお心遣いをいただける姿勢に感服したことをよく憶えております。